ものかきブンちゃん

読んだもの観たもの書いたもの

ニューヨークでのおうち時間と 『ERIKA IKUTA in NEW YORK』

お題「#おうち時間

ただいまコロナ中。おうち時間もこれで1ヶ月半になる。

f:id:monokakibunchan:20200420092405j:plain
f:id:monokakibunchan:20200420092417j:plain

そもそも大学院生という職業(?)柄なので、家で本ばかり読んで過ごすのが普通といえば普通だが、1ヶ月半も狭いアパートにひとりぼっちというのはさすがに辛い。

本がなくて困ってるわけではないのだが……

f:id:monokakibunchan:20200420092706j:plain
f:id:monokakibunchan:20200420092718j:plain
f:id:monokakibunchan:20200420092731j:plain

仕事ばっかりしていてもあれだし、研究に必要な本以外のものが欲しくて、アマゾンジャパンを利用して本を買うことにした。

その中の一冊が人生初めて購入した写真集、生田絵梨花の『インターミッション』。

f:id:monokakibunchan:20200420093923j:plain

前からほしいなと思っていたし、こんな状況だから心の慰めにもなるだろうと思って買ったのだが、これだ驚くことに、意外な方法で僕の心を揺さぶり、なんと今まで歩んできた人生を考え直させた。

まず最初の驚きは、この写真集のロケーションがすべてニューヨークだったと言うこと。

f:id:monokakibunchan:20200420095111j:plain

知らなかった……

ニューヨークにいるのに外には出られず、写真集の中のニューヨークを見る。それはとても不思議な感覚だ。

f:id:monokakibunchan:20200420111617j:plain

この三年間すっかり見慣れてしまった街の風景がそこにあって、その中には不可思議なほど幸せそうに笑ういくちゃんがいて、なぜかその組み合わせがとても不似合いに感じられて、しばらく自分の記憶の中のニューヨークと写真集に写っているニューヨークを見比べていた。

そうしてページをめくっていると、何かがポロっと落ちてきた。

f:id:monokakibunchan:20200420112151j:plain

朝食を食べる可愛らしい写真のポストカード。これを見た瞬間、「あぁ、そっか」と思った。自分がこの写真集を見ながら感じる違和感がなんなのか、ちょっとだけわかる気がした。

思い返した見ると、僕が見たニューヨークのほとんどの風景には、ある人物が入っていた。去年別れた彼女。

彼氏目線で撮られているこの写真集の様々な場面は、僕がすでに経験しているものが多かった。ただ、そこにいる人が違うだけ。

例えば上のポストカードの朝食屋さん。サラベスというとても有名な店で、彼女と行ったことがある。そして彼女もいくちゃんと全く同じくエッグベネディクトを食べた。確か写真があったはずだと思ってGoogleフォトのアーカイブを探してみると、写っている手の位置まで似ていて、すこしゾッとする。

f:id:monokakibunchan:20200420112534j:plain

もう一度写真集をめくってみると、すっかり忘れかけていたいろんな風景が蘇ってきた。ハミルトンの劇場の前も、フィフスアベニューのロックフェラーセンターの前も、ブルックリンブリッジが見える有名なフォトスポットも、いつか僕と彼女が並んで歩いた場所ばかり。

f:id:monokakibunchan:20200420120158j:plain
f:id:monokakibunchan:20200420120154j:plain

僕が彼女と一緒に見ていたニューヨークは、もしかしたらこの写真集のように明るくて、楽しくて、新しい発見に満ちていて、幸せで、美しかったのかもしれない。いつの間にか僕にとってこの街は、止むことのない雨に黒く湿った、見るだけで冷たいものになっていた。

そして今、僕が見ているニューヨークはこの部屋の壁の中以外存在しない。

忘れかけていた。僕は確かにもっと違う世界を見て生きていたはずだ。

この写真集が思い出させてくれたもう一つのこと。それはフィフスアベニューにあるティファニーの本店に行って彼女と二人で買ったカップルリングの存在。オードリーヘップバーン主演の『ティファニーで朝食を』(Breakfast at Tiffany's, 1961)に出てくるあのお店だ。

f:id:monokakibunchan:20200420123037j:plain
f:id:monokakibunchan:20200420123048p:plain

押入れの中に静かに錆びていた破られた約束の証。

お店の入り口の上にある時計(映画のスクリーンショットの一番上に半分だけ見えている)をモチーフにした指輪は、これからずっと流れていく時間の共有を意味していたはずだ。時間が経っていくことへの楽しみ、誰かと一緒に経験していくんだという期待、そんなものにあふれていた気持ちの、身に付けて離すことのない象徴であったはずだ。

しかし時間は止まってしまった。『恋はデジャ・ブ』(Groundhog Day, 1993)みたいに毎日同じ日が繰り返されるかのように、全く同じ風景、同じパターン、同じ時間が続く。

今は、この指輪の捨て方も、僕は知らない。

時間の流れの取り戻し方も、よくわからない。

 

しかし、写真集が僕に教えてくれたことが一つある。自分が見ている風景の中に、もし大好きな人が立っているのなら、そこで笑って、泣いて、生きているのなら、僕はその景色が美しいと思える。その場所が好きになれる。その場所にいる自分をも、好きになれる。

そんなに新しい発見ではないかもしれないけど、誰にも会えない今だからこそ、そんな大切な事実を忘れて生きていた自分が情けない。

この「おうち時間」が終わったら、カメラを持って街に出よう、出会いを大切にしよう、約束を大切にしよう、誰かと一緒に過ごせる時間を、そして一緒にいられる場所を、大切に、一生懸命に守ろう。